私たちは日々の生活の中で、意識することなく地球の最も基本的な力の一つである「重力」と共に生きています。しかし、この重力が、私たちの運動パフォーマンス、そして身体の健康にどれほど深く関わっているかをご存知でしょうか?
『姿勢を改善する〜呼吸と脊柱の働き〜』でもご紹介しましたが、「呼吸が適正化されなければ、動作を適正化することはできない」という言葉があります 。これは、身体の土台がどれほど重要であるかを物語っています。
そして、この土台を支える上で、重力との調和は不可欠な要素なのです。重力は、私たちが自分自身の身体を動かし、空間を認識し、外的環境と相互作用するための、まさしく代表的な「外力」であり、身体重心の移動にはこの外力が必須となります。
このコラムでは、重力という外力を身体がどのように感知し、利用しているのか、そしてそれが運動パフォーマンスにどう影響するのかを深掘りしていきます。
〜重力を感じる〜
まず、私たちの身体が重力をどのように感知しているのかを見ていきましょう。
人間は主に皮膚や筋肉、関節などの感覚(体性感覚)、前庭覚(バランス)、視覚などの感覚を通して重力を感知しています 。
まず体性感覚です。体性感覚は「Move well」、つまり「上手に動く」ことの基礎であり、視覚、前庭覚と並ぶ三大感覚の一つです 。特に、足底からの入力は姿勢制御の約70%を占めるほど重要であり 、地面からのフィードバックを得ることを「グラウンディング」と呼びます 。
グラウンディングが適切に行われると、私たちは重力を効率的に利用して移動や姿勢を維持でき 、さらには自律神経機能の適正化、疲労回復、ストレス反応の低減など、多岐にわたる生理的メリットが期待できます 。
例えば、スクワットの際に脳は地面からの反発を感じ取ることで、空間における身体の位置を予測し、適切な動作に繋げます 。
次に前庭システムは、頭部に加速がかかった際に大きく機能し、「どちらが上か?」といった頭部の空間における位置や動きを判別します 。内耳にある三半規管は、頭部の動きと加速度を検知し、耳石器(卵形嚢と球形嚢)は、直線的(上下や前後、左右方向)な加速度を検知する重要な役割を担っています 。
この「いま、自分がどこで何をしているか」という位置感覚が曖昧になると、浮遊感やめまい、パニックといった症状が現れ、身体が危険と認識して過緊張を引き起こすことがあります 。
前庭システムが適切に機能することは、過度な姿勢筋緊張を防ぎ、バランス能力や筋出力の向上に繋がると言われています。実際、前庭システムからの出力の約75%は体幹部へ投射され、重力に拮抗する力を発揮しています 。
そして、視覚もまた、重力との相互作用において極めて重要な役割を果たします。視覚は「筋が課題を解くための空間的方程式を与える」と表現されるほど、人の移動の基礎となります 。また、地面の状態や床の肌理は視覚情報として重要であり、適切な筋緊張、姿勢反応、運動出力の調整に影響します。
視覚情報処理は脳の多くの領域に関わり、他の感覚を抑制し支配的になる可能性すらあります 。特に、周辺視野における「オプティックフロー」は、移動に伴う風景の流れを特定し、将来の動作を予測・計画する上で密接に関わっています 。
これら体性感覚、前庭覚、視覚の3つの感覚システムが統合され、矛盾なく解釈されることで、私たちは空間と自身の身体の関係性を正確に認識し、安定した動作が可能になります 。この統合に不整合が生じると、「酔い」や「錯覚」が生じ、身体の防御反応(過緊張など)を引き起こし、運動パフォーマンスの低下に繋がるリスクがあります 。
〜重力を活かす〜
重力という外力と調和しながら動くために、人間は進化の過程で様々な運動戦略を獲得してきました。
歩行は「倒立振り子運動」と表現され、重力と床反力を巧みに利用する運動です 。主要な戦略として、主に二つが挙げられます。
一つは、安定化戦略です。これは重心を支持基底面内に収めて動く方法で、動作ではスクワット動作など、歩行では四つ足歩行やちょっと昔のロボットのような二足歩行です。
制御しやすいという利点がありますが、大きな筋力を必要とし、常に平らな地面が必要といった環境的制約が多いという欠点があります 。
もう一つは、推進・反動戦略です。こちらは勢いを使って動く戦略で、一般的な人の二足歩行など。
一時的に重心が支持基底面から外れて不安定な状態になります 。制御は難しいものの、大きな筋力を必要とせず、エネルギー効率が良く、でこぼこ道のような条件の悪い環境にも対応できるという利点があります 。
高い運動パフォーマンスを発揮するためには、この推進・反動戦略、つまり一時的な不安定さを制御する能力が不可欠となります。
重力との不調和が生じると、パフォーマンスは著しく低下します。例えば、身体が自身の位置を正確に認識できない場合、脳は危険と判断し、痛みの信号を優先的に捉えることで、身体の防御反応や過緊張を引き起こします 。
また、横隔膜が適切に機能しない(Zone of Apposition (ZOA)が狭くなる)と重心の位置が不適切に高まり、呼吸補助筋の過剰活動や腰椎への過度な圧迫を引き起こす可能性があります。
では、どのようにすれば重力との調和を取り戻し、運動パフォーマンスを向上させることができるのでしょうか?
〜インプットを改善する〜
基本的な原則は「アウトプットを修正する前にインプットを改善する」ということです。
つまり、身体の動き(アウトプット)を直接修正しようとするのではなく、まず脳に送られる感覚情報(インプット)の質を高めることが重要です。
これには、前述の体性感覚、視覚、前庭覚の3つの感覚システムへの適切な刺激と統合が不可欠です 。
例えば、グラウンディングの訓練を通じて、足底から地面へのフィードバックを強化したり 、頭部と眼球の分離運動の訓練で、頭部の安定性を保ちつつ眼球を独立して動かす能力を高め、視覚情報を最大限に活用できるようにします 。
また、歩行時の「衝撃吸収機能」の訓練も重要です 。特に伸張性収縮を利用した訓練は、重力による負荷を効率的に分散し、身体への負担を軽減します 。
そして、動歩行への移行を促すために、ボックススクワットやステップアップ・ステップダウンといった、一時的に重心が外れるような動作の訓練も効果的です 。
これらのトレーニングは、決して「筋肉を鍛える」ことだけが目的ではありません。環境やルールを操作し、クライアント自身が望ましい動作を自律的に探索するような「制約操作」を取り入れることで 、脳が状況に適応し、最適な動作パターンを無意識のうちに習得できるよう促すことが重要です 。
重力は、私たちにとって常に存在する強力な力です。しかし、それを単なる物理的な制約として捉えるのではなく、身体と脳が常に相互作用する「基盤」として理解することで、運動パフォーマンスの可能性は大きく広がります。
重力との調和は、日々の生活における快適な動作から、アスリートが最高のパフォーマンスを発揮する瞬間まで、あらゆる動きの質を高める鍵となります。
私たち自身の感覚システムを理解し、適切に鍛えることで、重力という偉大な外力を味方につけ、より自由に、より力強く、そしてより安全に、この地球上で活動することができるようになるでしょう。
